術後60日目 いろいろな実感がなくなってきた
実感がなくなってきた
5月28日。大雨🌧️高校生は休校になった。
体調は、特別悪いところはないが、昨夜は、少し寝苦しく、朝早く目が覚めた。眠い。
ストマ閉鎖まで、あと6日。
昨日、
昨日、
「カウントダウンすると、おそろしさが増す。」
と書いたものの、おそろしかったり、心配だったり、緊張感があるのは、直前までだ。
これまでのところ、終わったことに対しては、実感が薄れていっている。
記憶が薄れているのとはちょっと違う。
記憶が薄れているのとはちょっと違う。
放っておくと、命を取られるものが、おしりの近くにあった。
入院して、取った。
それじゃ足りないから、10時間もの全身麻酔で、直腸とリンパ節を取った。
ストマが腹から飛び出して、そこから、💩が勝手に出てくるようになっている。
もちろん、経験したという記憶はあるが、自分のことであるという実感がなくなって、本当に自分の体に起きていることなのか、という感覚になってきている。
ふと、小学校の時、卒業式の練習中に(たぶん、貧血で)ぶっ倒れたときのことを思い出した。
卒業生が起立しているとき、冬だから、体育館でストーブがたかれていて、のぼせたのかもしれないが、フワ―と気持ちよくなって、意識が飛んだ瞬間、体全体に激痛が走って、気づいたときには、床に横になっていた。
その時も、自分のことなのに、自分のことじゃない感じだった。
今はストマ見ればわかるし、ストマ閉鎖しても、傷は残るから、実感は残るだろうと思うが、服を着て、見ていないときの感覚は、死にかけた実感なしになっていく。
トータルリコールみたいに、いつのまにか、そういう経験の記憶を植え付けられた人みたいになるのかもしれない。
本当の危機や恐怖は、脳が、メンタルを守るために、無意識のうちに、記憶の奥にしまいこんで、取り出せないようにしてしまう。記憶の抑圧というのがあるらしい。
それに近いのかもしれないけど、意識して取り出せなくても、フラッシュバックとか無意識に、死に臨んだ実感がよみがえってくる瞬間があるのかな。
そうだとすれば、なかなか、ドラマティックな体になったことになるよな。
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