2024年は直腸NET(神経内分泌腫瘍)の私的元年
12月31日。大みそか。
ロボット支援下直腸低位前方切除術 術後277日目 ストマ閉鎖後211日目
今年は、直腸神経内分泌腫瘍(NET)の一年だった。これに尽きる。直腸神経内分泌腫瘍(NET)に関する経緯は、私の経過のページに書いてはいるが、2024年はそれしかなかったといっても過言ではない年だった。
2020年に著名なギタリストのEdward Van Halen氏が亡くなった際に、その昔、よく一緒にライブに行っていた、大学の同期とLINEで、
「さすがに無理が効かない体になってきたな」「そうだな、もう、そんな歳か」
というような会話があったのだが、それを思い出しながらも、まさかこんなことになろうとは思ってもいなかった。
2023年の健康診断で、便潜血検査が陽性になって、どうせ、大腸カメラをやって、「痔ですね」と言われるだけだろうと思っていた。
それが、「カルチノイド」というやつだから、大きい病院に行ってくれという流れになった。
一月、年が変わり、2024年早々に、生まれて初めて入院して、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)で切除した。直腸神経内分泌腫瘍(NET)と言われても、その時点ではまだ、事の深刻さに気づかず、ESDの結果、直腸切除を伴う外科手術の可能性を示されて初めて、人生の終わりを意識するようになった。
二月、希少がんの一種であると知り、情報が非常に少なく、仕事どころではなかった。幸いにして、仕事がさほど忙しくない状況だったこともあり、調べまくる毎日だった。
直腸NETについて、唯一の記載がある書籍を見つけたが、タイトルの「大腸がん」という文字を見てショックを受けた。祖父が大腸がんで亡くなったことも少し影響してたかもしれない。先輩のX、ブログ、ネットで閲覧できる文献、論文を読み漁った。
大規模言語モデルのAIが花開いた2024年であったことで、調査が非常に効率的に調べられたことも幸いだったかもしれない。いろいろ調べた結果でX上やブログに書いていたら、先輩がアドバイスくれたり、人がつながり始めた。
三月、同時期に外科手術にのぞむ、あやかさんから声かけしてもらって、さらにつながりが深くなっていった。自分だけで調べるよりも、情報量として多くなり、これにはだいぶん救われた。
DMを勝手に張り付けて怒られないかな。でも、これがなければ、途中の過ごし方や今の心持ちはずいぶん違っていただろうと思っている。
四月、三月末から入院で、直腸切除。生まれて初めての全身麻酔と手術。相当ビビっていたと思うが、麻酔が覚めてからは、どん底からだから、基本浮上するだけ。浮いたり沈んだりしながらも、全体的に前向きになれてた気がする。不思議なものだ。あとに続く人たちがいたから、張り合いがあったし、先輩面して、皆が楽に乗り越えていく自己満足もあった。
軽い腸閉塞(イレウス)もあったので、入院も長引いたし、最初は少しを移動するのも大変だったが、今思えば、重たい風邪が長引いたようなものだったと思う。
五月、まだ、ストマ生活ではあったが、一時的に職場復帰をした。私は何から何まで恵まれていたなと思う。仕事は、フルリモートワークできる状況ではあったので、ストマ交換は面倒だが、生活に困ることは何もなかったし、家族のサポートもあったから。リモートワークなし、単身だと、大変だと思う。
六月、ストマ閉鎖は余裕だった。傷の見た目はなかなかグロかったが、見た目が元のからだに近づくだけでも開放感があった。🚽と💩に悩まされる日々もあったが、どういうからだになったのか?理解するというか、クセを見極めるというか、そういうことを考えているうちに、すぐに何とかなると思えた。それも、リモートワークと同期の人たちに助けられたし、夜、眠れないほどに悩まされることがなかったことがかなり大きいと思う。
七月~十月、我々がつながり始めてから、X上でつながってくる人が後を絶たず、結果、20人以上になった。希少がんであることや、わりと最近になるまで、カルチノイド(がんもどき)や良性とされていたことで、最初の発見の流れとか、医師の判断や言動、処置にはいろいろなパターンがあって、それに応じて、気になることを調査をつづけていくことで、みんなの知識が深まっていった。新しい方が現れても、あまり驚きもなくなってきた。
十一月、国内出張を再開し、関東方面にも行けるようになって、同期の人たち、リアルで会ってみた。みんな互いによかったねぇ。と思いやる話にしかならないので、とても平和な空間になっている。この歳で、新しいつながりが広がることはあまりないけど、日々のやりとりで、ずっと以前から知り合いのような感覚でよかった。
十二月、前月につづき、前回とは少し違うメンバーで忘年会になった。今年つながった人たちと忘年会するとは思ってもみなかった。一期一会。ほんとうにみんなには感謝しかない。そして、今、これを書いている。
雑に振り返ったが、振り返ってみると、そんなに大変なことがあったとは思えなくて、必死だったし、あっという間だった。最近は🚽と💩の話しかしていないようにも思うけど、大変な人には申し訳ないと思いつつも、それがなんだか和むし、癒される。
自分よりも若い世代が多いし、男女関係がなく、🚽と💩の話ばかりしている集団は異様だろうけど。。歳をとると、老いと病気の話ばかりしてしまうのだけど、この集団はこの後どうなっていくのだろうか。
四苦八苦、いろいろな苦しみが、和む、癒される場所であればいいなと思うし、引き続き、あとに続く人の力になりながら、自分の経過も見ていければいいなと思う。
こういうことを書いて、先輩面してみんなにいいねをもらう自己満足の一部なんじゃないかと思うこともあるけど、Xでつながってリアルでも会って正月迎えた直腸NET民はきっと我々が「最初」だと思うし、2025年民が現れても、ずっとそれは変わらない「最初」だって思っている。勝手にそう信じているだけ。
直腸はないけど、新しいからだで生きなおし。
うまくいけば、あと二、三十年は、この自己満足で救われながら、生きていく。
面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり(高杉晋作)=「面白いことがない世の中を面白くするものは自分の気持ち次第」の心意気である。
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